プテリドマニア - シダの狂気
ビクトリア朝時代に大流行したプテリドマニア(プテリドとはラテン語でシダのこと)とは、1840年代から1890年代にかけて英国で大流行した、シダやシダに似たあらゆるものに対する熱狂のことである。 プテリドマニア」という言葉は、1855年に「The Water Babies」の著者チャールズ・キングズレーが著書「Glaucus, or the Wonders of the Shore(グラウカス、あるいは海岸の不思議)」の中で用いた造語である。
ビクトリア朝はアマチュア博物学者の全盛期であった。 一般にシダマニアはイギリス人の奇行と考えられているが、それが続く間、シダの狂気はビクトリア朝の生活のあらゆる側面を侵食した。 シダやシダのモチーフは、家、庭、芸術、文学などあらゆるところに登場した。 そのイメージは、敷物、ティーセット、室内用ポット、庭のベンチ、さらにはカスタードクリームのビスケットにまで飾られた。
もともと1830年代には、この植物にしか魅力を感じないとして販売されていた。 インテリジェント シダはすぐに全国的な現象となった。
シダを集めるには、エキゾチックであればあるほどよく、フェネリーが必要だった。 これは多くの場合、シダを栽培して展示するガラス温室だったが、デヴォンのビクトン・パークにあるような、ゴシック様式のグロットという形で作られた屋外フェネリーもあった。 これは1840年代初頭に造られた、イングランドで最も古いフェネリーのひとつである。 フェネリーには、戦略的に配置された巨石と大きな岩が涼しく湿った根を作り、周囲の木々や低木が日陰を作ってシダを保護する。
デボンはこうなった その ヴィクトリア朝のシダ愛好家にとって、この郡はイングランドで最も重要な在来シダの新種発見地であった。
ビクトンのフェネリーは不気味でグロテスクなデザインで、確かに原始的な佇まいを見せている。
シダ植物園を持つ余裕がなく、シダを集めたいのであれば、乾燥標本でいっぱいのシダ・アルバムが適していた。 多くのファッショナブルな家では、シダのコレクションを展示するためのワーディアンケース(テラリウムに似たガラスケース)が自慢だった。
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このブームは50年ほど続いたが、やがて衰退し、多くのフェネリーは使われなくなり、荒れ果てた。 その理由は特にないようだが、ヴィクトリア女王の死と1900年代初頭とが重なったため、単にシダが「前世紀のものだ」と流行らなくなったのかもしれない。
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